【絶望名人カフカ】から逆説的に人生をポジティブシンキングしてみる

            <p> </p>
絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

 

 

 

 

1.将来に絶望した!

 

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

倒れたままでいるということは、誰かに手を差し伸べてもらえることもあり得るということ。ましてや将来に向かって歩こうとしてつまずき、倒れたままでいる人にならなおさら。


バルザックの散歩用ステッキの握りには、
「私はあらゆる困難を打ち砕く」と刻まれていたという。
ぼくの杖には、「あらゆる困難がぼくを打ち砕く」 とある。
共通しているのは、「あらゆる」というところだけだ。

バルザックを否定するわけではありませんが、カフカの方がむしろ困難を困難と捉え、必死に迎え撃っているという証拠なのでは?


ぼくはいつだって決してなまけ者ではなかったと思うのですが、
何かしようにも、これまでやることがなかったのです、
そして生きがいを感じたことでは、
非難され、けなされ、叩きのめされました。
どこかに逃げだそうにも、それはぼくにとって、
全力を尽くしても、とうてい達成できないことでした。

現代の日本社会のひきこもりやニートに通ずる言葉ともとれます。しかし、親や教育者といった無責任な他人からの「お前の幸せは俺が決めてやる」と言わんばかりの傲慢さが、本人の全力という意思を摘んでしまっているということはないでしょうか。


生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。
本当はどこに向かうはずだったのか、
振り返ってみることさえ許されない。

レールに敷かれた人生を歩まなかったからこそ、カフカは偉大な功績を残しました。


2.世の中に絶望した!

 

ぼくはひとりで部屋にいなければならない。
床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように、
ひとりでいれば何事も起こらない。


確かにその通り。でもそれが悪いなんて誰が決めたのでしょう? 困ってから動けばいいじゃないですか(もしそれで、他人に迷惑がかかるからという人がいるとしたら、それはそもそも人とは他人に迷惑をかける生き物であることを理解していない証拠です)。


閉ざされた地下室のいちばん奥の部屋で暮らしたい。
誰かが食事を持ってきて、
ぼくの部屋から離れた、
地下室のいちばん外のドアの内側に置いてくれるのです。

閉ざされた地下室のいちばん奥の部屋までひきこもれば、逆に世の中というのが見えてくるはずです。この発言自体は、裏を返せば外の社会と自分を照らし合わしたいという立派な精神の塊だと言えるでしょう。


3.自分の身体に絶望した!

 

こんな身体では何一つ成功しない。
細くて虚弱なくせに、背が高すぎるのだ。

カフカは細身で背が高かったですし、ましてや若いうちは病弱でもありませんでした。当時の価値観やカフカ自身にとってはコンプレックスだったのでしょうが、今の、少なくとも日本の価値観からみれば十分にアドバンテージになり得る要素です。


浴場でのぼくの姿、裸のぼくの痩せていること。
浴場では、ぼくはまるで孤児のように見えます。

父親のように、肉体的にも精神的にも強くなければとても世渡りなんかできないと思っていたカフカ。しかし実際は、痩せている外見から考えられもしないほどに、後世に受け継がれるほどの影響を与えるほどのパワーを持っていました。人は見かけにあらず。


4.自分の心の弱さに絶望した!

 

ぼくは自分の人生に必要な能力を、
なにひとつ備えておらず、
ただ人間的な弱みしか持っていない。

むしろ自分の強さに自信があるという人間の方が、はたから見て不安です。心の弱さにプライドを持つというやり方でもって、自分を受け入れることは、一つの自己承認に他ならないのでしょうか。


ぼくの人生は、
自殺したいという願望を払いのけることだけに、
費やされてしまった。

むしろそれすらも出来ない人がいる中で、カフカが本当に弱い人間だと誰が言い切れるでしょうか。


過去のつらい体験を決して忘れない。
そのため、今泳げるという事実すら、(かつて水泳が出来ずにいて他の泳げる人と比べていたことから)ぼくにとっては何の足しにもならず。

過去を引きずることは誰でもあるし、トラウマとはなかなか克服出来ないもの。それなのに何故世の中は、他人に対しては「失敗を恐れず前へ進め!」と無責任に発破をかける人が多いのでしょう。


5.親に絶望した!

 

自立を願いながら、子供を支配し続ける矛盾した親。
あなた(父親)の「行けよ」という命令は、真剣なものですし、本心です。
でもあなたは以前から、ご自分ではそれと知らずに、
ぼくを引き留め、押さえつけてこられたのです。
父親という存在の重みによって。

いつの世にも、こういう親は多いように思えます。結局親はある意味で最大のエゴイストなのでしょう。例えば、機能不全家庭などにおいては、無自覚な親が子供にいらぬ心配や絶望を与えてしまっているという典型です。


「生活無能力者のおまえは、
それでも快適に、何の心配もなく、
自分を責めずにやっていくために、
自分のあらゆる生活能力を、父親の私が奪ったことを証明してみせる。
生活無能力者になったのは、自分のせいではない、
責任は父親にあるのだ、というわけだ。
そうして、おまえはのうのうと寝そべり、
身心ともに父親の私に預けっぱなしにして、
すねをかじりながら人生を過ごそうという寸法だ」

これは、父への手紙に対して、カフカ自身がこう反論するに違いない、と予想して書いたものです。
実際に子が親からこう言われる場合はもちろんあるでしょうし、このカフカのように言われる前に親から非難されることをわかっているというパターンもあります。ちなみにこの手紙、母親が先に手にして、結局父親の手に渡らなかったそうです。子の心、親知らずといったところでしょうか。


6.学校に絶望した!

 

同級生の間では馬鹿でとおっていた。
何人かの教師からは劣等生と決めつけられ、
両親とぼくは何度も面と向かって、その判定を下された。
極端な判定を下すことで、人を支配したような気になる連中なのだ。
馬鹿だという評判は、みんなからそう信じられ、
証拠までとりそろえられていた。
これには腹が立ち、泣きもした。
自信を失い、将来にも絶望した。
そのときのぼくは、舞台の上で立ちすくんでしまった俳優のようだった。


極端な判定を下すことによって人を支配したような気になる連中、という洞察は、いつの社会にも当てはまります。もちろん今も。
自分の弱さを知っているカフカのような人と、自分の弱さを隠すために人を攻撃する人間、どちらが本当に弱い人間でしょうか。


何度成功しても自信は湧かず、ますます不安が高まる。

カフカは成績が良くなかったようですが、成功体験の積み重ねが本人に自信を与えるという一般論も、眉唾です。慢心せず、何度も自分と向き合っていって本気で物事を取り組むことの大切さを教えてくれているという見方もできるでしょう。

 

7.仕事に絶望した!

 

生活のための仕事が、夢の実現の邪魔をする。

カフカは文学の邪魔になるから、生活のための仕事は邪魔だと思っていました。
これを甘えとかワナビというだけでは何も生まれません。自分の人生に本音で生きることが恥ずかしいなんて、誰にも言わせない世の中が来てほしいものですね。


ぼくが仕事を辞められずにいるうちは、
本当の自分というものがまったく失われている。

やりたくない仕事をやることの苦痛さを書いています。
苦痛に耐えるというところまでは同じですが、妥協して嫌な仕事をやり抜くことと、本当の自分を殺してまで仕事を続け、最終的には別の表現で自分を何とか生かす。
後者の方が前向きだと思うのは私だけでしょうか。

 

8.夢に絶望した!

 

あなたはお聞きになるかもしれません。
なぜぼくがこの勤めを辞めないのかと。
なぜ文学の仕事で身を立てようとしないのかと。
それに対して、ぼくは次のような情けない返事しかできないのです。
ぼくにはそういう能力がありません。
おそらくぼくはこの勤めでダメになっていくことでしょう。
それも急速にダメになっていくでしょう。

生きながら、真面目に働きながら、ダメになっていく。
このような感覚は決して非現実的なものではありません。
人生は一度きり。答えのない道を歩んでいくのが本当の生き方と言えるのではないでしょうか。


ぼくの仕事が長くかかること、
またその特別の性質からして、
文学では食べていけないでしょう。

漫画家のつげ義春先生も同様の悩みを抱いていましたね。
芸術を志す人を古今東西悩ますテーゼです。


文学者としてのぼくの運命は、非常に単純だ。
夢見がちな内面生活を描写することが人生の中心となり、
他のすべてのことを二の次にしてしまった。

勤めも結婚も家庭もおろそかにしてしまったカフカ。しかし彼はその後に「城」「審判」などの著名な作品を次々と生み出します。
自分の作った絶望からでも、人は何かを生み出すことができるということを、カフカは証明してくれました。


9.結婚に絶望した!

 

ぼくは彼女なしで生きることはできない。
……しかしぼくは……
彼女とともに生きることもできないだろう。

結婚とは、かくも不条理なもの。自分の内的世界とだけでなく、相手とも世界を共有しなければならない。カフカはそんな人間関係の難しさを問うてくれました。


誰でも、ありのままの相手を愛することはできる。
しかし、ありのままの相手と一緒に生活することはできない。

愛することと実際に生活することは違います。愛が全てを解決するなんて大嘘です。そんなありのままを見るのに長けることも、一つの大切な人生には変わりありません。

 

10.子供を作ることに絶望した!

 

ぼくは、決して子供を持つことはないでしょう。

このカフカの言葉は、普通の人のように家庭を作りたいという気持ちはあったのですが、自分には無理だろう、という諦めの気持ちだったのです。何だかカタルシスを感じてしまいます。


ぼくは父親になるという冒険に、決して旅立ってはならないでしょう。

例えば今で言えば、幼児虐待やネグレクトなど様々な問題がありますが、親になる前に「自分が親になれるのか?」と言った不安に胸が満ちる人も当然多いことでしょう。いつの時代でも、親になる人全てが、必ず真剣に考えるべき問題だと思います。


11.人づきあいに絶望した!

 

実際ぼくは、人と交際するということから、見放されていると思っています。
見知らぬ家で、見知らぬ人たち、
あるいは親しみを感じられない人たちの間にいると、
部屋全体がぼくの上にのしかかってきて、ぼくら身動きができません。

カフカは非社交的な人ではありませんでした。人と一緒にいたいのに、人といると疲れる。そんな思いをもった人はたくさんいるのではないでしょうか。
自分なりの人と付き合う社交術を身につけられれば良いのですが、それも人生の鍛錬の一つなのかもしれません。


二人でいると、彼は一人の時よりも孤独を感じる。

彼、とはカフカ自身のことです。誰かといると、相手が彼に掴みかかってくるかもしれない。
人間、一人の時間も大切であるはずなのに、社交性をアピールする人に限って、皆でいることを強調し、あまつさえ掴みかかろうとしさえするのは、何故なのでしょう?


12.真実に絶望した!

 

真実の道を進むためには、
一本の綱の上を超えていかなければならない。
その綱は、別に高いところに張られているわけではない。
それどころか、地面からほんの少しの高さに張られている。
それは歩いていかせるよりも、
むしろつまずかせるためのものであるようだ。

真実とは、必ずしも希望が待ち受けているとは限りません。受け入れがたい真実も世の中にはあり、それを受け入れて生きることこそ真の人生を歩むというのではないでしょうか?


13.食べることに絶望した!

夜、ぼくが食べないからといって
かわいそうな母はめそめそ泣く。

自分の身体を守るために、食事をあっさりと受け入れなかったカフカ。たとえ母親が作ってくれたものだとしても。
外部のものを口から摂取することの恐ろしさを問うているのかもしれません。意外と考えさせられる考察です。


私はうまいと思う食べ物を見つけることができなかった。
もし好きな食べ物を見つけていたら、
断食で世間を騒がせたりしないで、
みんなと同じように、
たらふく食べて暮らしたに違いないんだ。

これは小説の一節であり、実際にはカフカは旅先の田舎の保養所でくつろいで安心しているときには肉を食べました。そして太りました。
食に対するカフカの思いは、そのまま現実の拒絶感が溢れていました。
ダイエット目的でなくても、もしかしたら食べた物や量を記録しておくことは、自分自身を知ることの第一歩と言えるでしょう。


14.不眠に絶望した!

 

今日はひどい不眠の夜でした。
何度も寝返りを打ちながら、
やっと最後の二時間になって、
無理矢理に眠りに入りましたが、
夢はとても夢とは言えず、
眠りはなおさら眠りとは言えないありさまでした。

不眠は現代のストレス社会と密接に繋がっています。
持論なのですが、例えば「人は1日◯時間寝ないと能率が下がる」という言葉は、あまりあてにならないと思っています。
ギリシャではありませんが、眠るという人間にとって必要な習慣を、いろんな意味で軽視している風潮が、カフカの時代以上にこの日本で増えていることに対して、我々は抗議しなくてはならないのかもしれません。


ベッドでじっと横になっていると、
不安がこみ上げてきて、
とても寝ていられなくなる。
良心、
果てしなく打ち続ける心臓、
死への恐怖、
死に打ち勝ちたいという願いなどが、
眠りを妨げる。
仕方なく、また起き上がる。
こんなふうに寝たり起きたりをくり返し、
その間にとりとめのないことを考えるのだけが、ぼくの人生なのだ。

不安や心配事は、安眠の最大の敵です。
カフカは「とりとめのないこと」を考えることに人生の意味を見出していますが、眠る時間や不安、ストレスに必要以上に左右されず、自分と戦い自らの哲学を最終的に見つけ出すことこそが、生きるということですね。


15.病気に絶望……していない!

 

ほぼ三年前ですが、真夜中の喀血がことの始まりでした。
血はさっぱり止まりません。
でもぼくはぜんぜん悲しんでいませんでした。
というのも、ずっと不眠が続いていましたが、喀血が止まりさえすれば、ようやく眠れるだろうと思ったからです。
実際、喀血は止まって、ぼくはその夜の残りを眠りました。
朝になって使用人が来て、血を見るとこう言いました。「もう長いことはありませんね」
しかしそれでも、私自身はいつもより調子が良く、
仕事に行ってから、午後になってはじめて医者に行きました。

1917年の8月、34歳のときに喀血し、結核と診断されます。


結核は一つの武器です。
ぼくはもう決して健康にはならないでしょう。
ぼくが生きている間、どうしても必要な武器だからです。
そして両者が生き続けることはできません。

病人だから悩まなくてもいい、結婚も破談、働くこともない。
病気に価値や辛い人生からの解放を感じ取ったカフカの生き方は、むしろそれまで人間の一生を誰よりも真剣に生きた一つの証拠と言えるのではないでしょうか?


ぼくは今、結核に助けを借りています。
たとえば子供が母親のスカートをつかむように、
大きな支えを。

当時の結核は、しっかり養生すれば治る病気でしたが、カフカは病気が重くなっていきました。そして1924年の6月3日に、カフカは40歳で亡くなりました。
カフカにとって結核という病気は、自分の人生を見つめ直してくれる試金石であり、救いであったのかもしれません。
人生にとってマイナスの要素に対して意味を見出す。それは単なる不条理云々ではなく、人が最期まで自分らしく生きることをどれだけ尊く見れるか、再考できるということなのです。