静かな作品【わたしを離さないで】

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わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

  本ブログは、極力、紹介した作品のネタバレをしない方針で書いている。ましてや今回取り上げた【わたしを離さないで】は、現在絶賛テレビドラマ放映中。

 しかし、今回ばかりは作品の根幹部分となる要素をクローズアップして書かないわけにはいくまい。

というわけで一応でかでかと

当記事は物語の核心部分の内容を含みます。

 と書いておく。ついでに改行でスペースも空けておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで空ければもういいかな。

 さて本作の内容の感想に入ります。

 

 読む前は、介護人と聞いたときには「介護がテーマ?」と思ったが、「提供者」「保護官」と何やら聞き慣れない単語がちらほらと聞こえてくるあたり、社会・労働問題や青春などを主軸に動く小説じゃないなこれは、と思う事数ページ。何やら静々と淀んだ情景が……まあカズオイシグロ作品はほぼそんな感じだが、今回はとりわけ。

 

 物語の本筋を少しだけ述べると、主人公の介護人キャシーを含め、「提供者」とは臓器提供を行うためのクローン人間。彼らは普通の人間よりもずっと早くその一生を終える。そして物語は、介護人兼提供者のキャシーの回想で進んでいき、救いも何もない。

 この小説は、最初から真実を読者に明かさないことで、登場人物に感情移入させてから残酷な展開を突きつけるという段取りで進む。――まるで叙述トリックのようだ。

 物語の後半、生まれ育った施設「ヘールシャム」の元保護官の一人の先生は語る。

それまで不治とされてきた病にも治療の希望が出てきました。世界中の目がその点だけに集中し、誰もが欲しいと思ったのですね。でもそういう治療に使われる臓器はどこから? 真空に育ち、無から生まれる……と人々は信じた。(中略)癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます? そう、逆戻りはありえないのです。あなた方の存在を知って少しは気がとがめても、それより自分の子供が、配偶者が、親が、友人が、癌や運動ニューロン病や心臓病で死なないことの方が大事なのです

 しばしばこのような観点は、他のSF作品でも取り上げられる。例えばロボット三原則が出てきたり、人権問題を取り上げたり、結果的に反乱や戦争が起きたり。

 古今東西のSF作品が、やや大げさなフィクションを作り上げ、そのコントラストを利用して現実の人間の弱さを浮き彫りにする、という筋はよくあるパターンである。というか、古典神話でもあるくらい。

 本作の印象を一言で言えば、「静か」だ。静かに生き、静かに望む人がいたとする。しかしそのために犠牲にしているものは何か? 夢だったり希望だったり。人間そのような静かに消えゆく命や未来には、驚く程無関心だ。だからこの作品のように、生きていく上での残酷さを淡々と書いた結果、「静か」な結末が訪れる。ある意味当然の成り行きだ。

 本書は、イシグロ氏の文でなければ、独特の静謐さが表現されなかったであろう、心魂のつまった一冊だ。その文面から感じられる情動はまさに、提供者たちのさまよう魂のように、誰よりも強い。隠されたストーリーの全貌こそ最後にならないと明かされなかったものの、最初の一ページ目を読んだ時点で、実は読者が、提供者達の魂を感じられていたことに、後から気付かされる。