魔術も奇跡もないからこそ現実世界の大切さを教わる【アルケミスト 夢を旅した少年】

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アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

 

 世界を旅した作者、パウロ・コエーリョ

 作者が行く先々で見たものの一部は、この本に集約されているのであろうか。

 

 読み終った後のこの不思議な感じ。でもそれ以前に、読み始めた段階ですぐにわかった。これは夢=小説を具現化させた、心の中の物語であることを。

 そして行く先々で訪れる、それほど不思議に溢れていない、けれど少年を襲う事件や、素晴らしい出会い。

 タイトルこそアルケミスト錬金術師)と銘打っているものの、その中身は、冒頭に述べたように、現実の世界に則した、文字通りの夢物語でありであり、静かな冒険活劇だ。しかし、文字を追っていく時に感じる胸の高鳴りは、名作ハードSFのそれに勝るとも劣らない。

 これほどまでに穏やかなドキドキ感を覚える冒険小説に出会えたのは、「ゲド戦記3 さいはての島へ」以来だぜ…………

 

 決して非現実的な事件がそう頻繁に起こるわけではない。しかし大切なことは現実の世界も小説の中でも同じだった。生きるための知恵、人々との出会いの大切さ、愛、そして旅することとその目的を見つけた時の心の充足感。それら全てひっくるめて、この、決して分厚くない小説の中に表現されている。

 本当の意味での錬金術は――という話をすると多少臭くなるのでしないが、やっぱり人にとって大事なのは、その過程で得たものなのだ。結果が全て、だなんて言葉は、絶対に全ての事項に当てはまるものではない。その“過程で得る”というものがどれほど大切か? 例を挙げれば我々にとって一冊の本を読み進める事――それはまさにこの小説で言えば、ページが残り少なくなって裏表紙に近づいていくにつれて寂しさすら感じてしまう――。この小説は読んでいく途中で、ハッと感じさせられることが多く、いろいろなことを教えてくれる。

 少年に訪れる出会いだけでなく、少年の働きやイギリス人との対話なども、登場人物の生き様に彼の影響が深く刻み込まれることになる。そして少女ファティマ。彼女の出番は、多くはないものの、少年にとって、そして作品にとってのキーパーソンとなる。様々な要素を一つ一つ拾い上げてみると、日本の小説でいえば筒井康隆の「旅のラゴス」を連想させるが、その中身の質のボリュームは、それこそ一つの大河小説並の壮大さを感じさせる。世界という視野をはるかに超えた、夢の世界の旅という観念が、そう感じさせるのだろうか。いや、違う。繰り返すが、創作の世界でも、それを読む人にとっても、きっと人々にとって大切な部分は繋がっているのだ。本書はそれを考えさせてくれるきっかけを作ってくれる。

 

 錬金術。そして人々が憧れてきた力――例えば魔術など――。それらは実現したことはなく、太古から今に至るまで人々は、実在するものだけをやりくりして生きてきた。その根底にあるのは、いつでも人が大事にしてきた心だった。時間を超えて大切なものを、読者に教えてくれるこの小説。それは、例えていうなら、夜空に見える星が、実は何千何万年とかけて光を届けてきた、というものと似ている。つまり小説や夢という概念を用いて、いつの時間も、どこの世界でも人々が大事にしてきたものを、この本一冊で読み取ることが出来る。これほどまでの美しさ、まさに夜空の星の光にも勝るとも劣らない。