【フランツ・カフカ】文学に突っ込みを入れる事の空虚感すら教えてくれた作品【城】

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城 (新潮文庫)

城 (新潮文庫)

 

 

 amazonで単に「城」と検索したら、いろいろな文献やメディア関連商品、実在の城のプラモデルなど、僕に必要のないこの本とは関係のない商品が沢山ヒットした。それこそまるで、この本の主人公であるKが、伯爵から受けた仕事のアポを必死で確認するために探し回るような気持ちになったと言っても過言ではない嘘です過言ですどう見ても。

 

 さて、本作品。随分前に読んだ作品だからとりあえずうろ覚えで申し訳ないのですが……

 とりあえず読み進めていくたびに突っ込みを入れた記憶はあります。

「いつになったら『城』に辿り着くんだよっっっ!!!」

 

 いきなり助手が現れたり(しかもちょっとぞんざいに扱っただけでうだうだ文句言ってくる)、主人公のKがある女性に一目ぼれしたり、結局測量士としての側面は書かれているのやらいないのやら。

 カフカという作家の頭の中は一体どうなっているのか、本当に全く分からない。紋切型の表現になってしまうが、これほど頭の中をこじ開けて覗いてみたい作家も珍しい。

 大体【変身】にしたって、あれを本人はギャグのつもりで書いていた、というのだから、やっぱりちょっと――いや、これ以上は言うまい。

 少なくともカフカという作家の繊細さに関しては、先月僕が書いた記事に載せた事だし。

 では、この作品は何がすごいのかって、単に人生の不条理さ、という抽象的な部分ではなく、人間が働いていく上で避けて通れない、目に見えない暴力のようなものを、独特なドラマを作り調和させた上で書いているところである。

 そこに気が付けば、僕が上で大字で書いた突っ込みなどするだけ野暮なことだとわかる(とは言え、やっぱり読んでいる時だけは上記のように突っ込みたくなるが)。なまじ【変身】の時に味わったオープニングの衝撃やインパクトがないため、いつの間にかじわじわと、主人公だけでなく読者までもがこの不条理に侵食されていくような気さえ起きるのだ。

 最後近くではどのようなシーンで終わるのか詳しくは書けないが、ある人物の長い長い台詞が大半を占めるようになる。それも主人公に対して、主人公が一目ぼれした女性に関するやや重苦しいバックボーンなどもまじえた、聴く側からすればちょっとうんざりするような台詞を――

 しかし、その台詞の中には確かに感じる。当時のカフカという作家がどのような人生を送り、どんな女性に恋をしたか、ということの片鱗を。

 この作品のストーリー展開は、それこそ箇条書きにでもしようものならやや突飛なものだと感じてしまう程に、微妙な現実と非現実のはざまを行き来させられるような気分にさせられてしまう。だから余計に、作品の中の人物像や心理描写という面では、繊細かつリアリズムに溢れ、読む人の心に訴えるものがあるのである。それもあえて個人レベルで。

 ある程度大人になった後であれば、人生の理不尽さを感じないまま生涯を終える人などいないだろう。しかしカフカという作家は、あくまでそこを強調しすぎず、かと言って話の展開を無駄にドラマチックにし過ぎることなく、語る。語るからこそ、人々は聞く。教育や啓蒙という形で書いていたのだとしたら、これほど世界中の人々に対し多大な影響を与えなかっただろう。個々の人がもつ特殊な心理から、このような普遍的な不条理というものにこれほどの説得性を訴える、いわば「帰納的な表現」をさせれば、カフカの右に出る作家などいるだろうか、いや、僕はいないと思う。

 【城】にしても、「職業人」「村での生活」「恋」など、現代の人にとっても非常に身近なテーマが淡々と書かれている。その中でおおよそ理不尽な事が次から次へと起こるのであるから、まるで世界中の全ての人に当てはまる不条理な生活の象形を見透かしているかのようだ。無論作者にそのような意図はなかったとしても、このように多くの人に向けられた一つの作品でもって、読者一人一人に対し、“彼ら(読者)の”人生を振り返らせ作品と“共鳴”させるという所業は、世界的に高名な文学者としてのなせる業と言ってよいだろう。

 

 この小説は、【変身】と比べるとやや分量があるが、人生のペーソスを具現化した作品に触れたい、というのであれば、うってつけの作品だ。その理由は、もう言ってしまいます。読めばわかると。

 読み終えた後は、もはや突っ込むことはおろか、一つの作品として面白いかどうか、合うか合わないを論じる事すら恐れ多くなる。それはこの作品、いや、カフカの小説が、自由に読み進めて、自由に感じることが出来る、素晴らしい小説であることをしっかりと確認できるから。元来本を読むということはそうであるものだと、僕個人としては思うし。