筒井康隆の原点にして頂点【東海道戦争】

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東海道戦争 (中公文庫)

東海道戦争 (中公文庫)

 

 

 僕の人生で最も影響を受けた日本人作家は、間違いなく筒井康隆である。特に断筆前の作品はほぼ全て読破し、高校生の僕は大いに熱狂した。七瀬シリーズや中長編も大好きだが、初期の短編がまた非常に面白い。

 こんな想像力溢れる作品群を30歳から、それも50年以上前に書いたというのだから、どれだけの氏の作品が人々に影響を与えたか知れない。

 この東海道戦争、著者の処女短編集(厳密な意味では違うが)になるのだが、この時点でもう氏の想像力と独創性が抜群に詰まっている。四の五の言わずに、それぞれの収録短編の解説と感想に移ろう。

 

1.東海道戦争

 東京と大阪が戦争する、という話。戦争の愚かさ、も勿論だが、戦争が起こる(起こす)きっかけとなるものの愚かさをも書いている。こういった筒井氏の考えは後に「三丁目が戦争です」などにいかされることになる。また、氏特有のスラプスティックとグロ描写は、この時点で既に遺憾なく発揮されている。

 

2.いじめないで

 戦争の果てに、地球上でただ一人生き残った男と、会話が可能な管制室のロボットとの対話の話。いや、対話でなく、男の方が世界が滅亡し一人になったことにやけっぱちになり、ほとんど一方的にロボットに因縁をつけ、酒を喰らい、ねちねちと苛む。この「いじめないで」というタイトルは編集によって変更されたものらしいが、それに関しては良い改変だと思う。後の「アフリカ ミサイル道中」とは大違い。別の編集者によるものだろうけど。

 

3.しゃっくり

 素晴らしい想像力である。まさか時間が断続的にある1点に戻っては進み、一定の時間が経ってまたその時間に逆戻りし、それを延々と繰り返すなんて。主人公の目線では、オートバイを飛ばして交通違反でキップ切られそうになるその瞬間に、何度も何度もその時間軸に戻される。本当にそれがしゃっくりのように一定の間隔で戻るものなので、死ぬことすら出来なくなったという所まで描かれている(実際主人公は一回死んで、また交差点の地点で戻されている)。如何に人間が時間という力の前では無力か思い知らされる。

 

 4.群描

 地下の地下。下水道の中に紛れ込んだ白い鰐と、そこに生きる猫たちの戦いを書く。都市伝説の「白い鰐」が元ネタなのだろうが、単にバトルを見せるのではなく、獣が持つ非常にリアルな“意識”や“本能”のぶつかり合いを見せるシーンに、氏の卓越した描写が光る。

 

 5.チューリップ・チューリップ

 氏のお家芸とも言えるSFドタバタコメディ。自分と全く同じ自分が十数人に増えるなんて、あー考えただけでも吐き気がする。タイムマシンの起動に失敗したら、こうなってしまうんだな。それにしてもこのタイトルは何故チューリップなんだろう? どこかで見た話だと、パチンコのチューリップアクション? から来ているらしいが(パチンコをやらないので、それに玉が入ると玉がまた増えていく、ということくらいしかわからないが)。

 

 6.うるさがた

 冥王星に派遣され、同場所にいるロボットとの対話の物語。「いじめないで」のような負の側面を書いたものではなく、まるでコントのように話は進んでいく。うざいなあこのロボット・・・。こういった筒井氏の笑いに舵を切った文の精巧さに、当時どれだけの人が舌を巻いたのだろうか。

 

 7.お紺昇天

 読んだ後本当に泣きそうだった。この短編集の中ではとりわけ異色で、主人公と相棒の人工知能をもった車との絆と別れを描く。その読後感の素晴らしさたるや、なまじ氏の他のショートショートなどを読んだ後だったりすると「まさか最後の最後別れた後に、互いが互いの悪口言って終わるんじゃないだろうな」と邪推していただけに最高だった(笑)

 

 8.やぶれかぶれのオロ氏

 火星連合の総裁という立場の人間が、戦争について記者会見を求められている、という話。オロ氏が論理の破綻した発言をすると、その記者会見をしていたロボット達が自らの人工思考路線を破壊し、爆発していく。単純に会見を求められて無茶苦茶なことを言っている政治家に対する皮肉だけではなく、実際その論理の破綻した権力者の、たったの一言で、一般市民が死んでいくという対比にも見える。

 

 9.堕地獄仏法

 仏法とその信者の狂気を書いた作品。言ってみれば創価学会批判である。氏は他の書籍で「末世法華経」という作品も描いていて、そちらも宗教による誤った神の解釈、人間の愚かさを表現している。それにしてもいくらエンターテインメントだと割り切って考えたとしても、こんな過激な社会批評小説、なかなかこの現代では発表出来ないだろうな。事実、氏の作品の中では、これの他に別の意味で過激すぎてお蔵入りになったものもあるらしいし。

 

 

 以上9つの短編は、端的に言えば今後絶対に映像化なんてされてほしくない(でも筒井氏とタモリは仲良いから、下手したら「世にも~」あたりで――うわぁ嫌だ嫌だ)。そんなことしたらこの筒井氏の書いた時空をも超える情景描写やSF的解釈、アクセントの効いた毒や、グロ描写その他諸々全て台無しになってしまう。氏の小説は小説として、昭和ならびにこの時代を生きる人だけでなく、これから先もずっと永遠にこの日本という国で語り継がれていくべきだ。それこそ時間という概念をコントロールしてでも。