派遣切りされても頑張った話

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 神奈川のとある工場に期間従業員として入社した私。

 

 実はその時結婚を控えており、こんな正社員でもなく病気持ちな男についてきてくれるという女性がいました。

 

 それが今の妻なのですが、そのひとと一緒に暮らすため、どうしても頑張らなければならなかったのです。

 

 もちろん世の中が不況に見舞われ、仕事を選んでいられる余地がなかったというのもありましたが……

 

 そこで行う作業は、塗装ラインの単純作業だったのですが、短時間でこなさなければならない作業量が多く

 

 新人の頃はよくミスをしていました。

 

 それだけならよくある話なのですが、問題はそこの工場がほぼ12時間拘束&2交代のフル稼働で、パワハラもひどかったものでした。

 

 殺す、死ねなどの暴言・殴る蹴る・地面に頭を押さえつける・耳を引っ張る・朝礼の時間大勢人がいる前で長時間説教する等々。。。

 

 それでも、私との結婚を待ち望んでくれている今の妻とのために、必死に堪えて、自分を奮い立たせ、頑張りました。

 

 お金を貯めて、2010年7月にめでたく結婚し、私達は神奈川のとある市に同居しました。

 

 苦しい勤務の中で新しい生活を行うのは苦労もありましたが、この時一生懸命励ましてくれた妻には、今でも感謝しています。

 

 しかし

 

 ちょうど精神科に本格的に通うようになったのもこの頃でした。

 

 2交代制勤務&長時間労働&日常のパワハラを我慢していたのが祟ったのか、私は精神科に通院するようになり

 

 「自律神経失調症

 

 という病名がつきました。

 

 そうです。統合失調症発達障害とは言われなかったのです。

 

 その時は明らかに、仕事が直接的な原因で心身を壊して、不眠やフラッシュバックなど、日常生活にまで支障をきたしていたので、そう診断されました。

 

 それでも、1日も休まず、新しい生活のために毎日頑張りました。

 

 たとえ眠れなくても、疲れ果てても、新しい生活のために。

 

 あの日までは。

 

 ......

 2011年3月、東日本大震災という未曽有の大災害が発生し、私たちの生活を大きく変えてしまいました。

 

 神奈川に住み、同じ市内の工場で働いていた私の現場も、生産減を余儀なくされ、またしても私の他に大量の非正規社員が切られていきました。

 

 私は、その際に直接解雇されることはなかったのですが、それまで他の非正規従業員が担当していた作業を一度に覚えなければならなくなり、

 

 それに伴って上司のパワハラがこれまでにも増して異常にエスカレートし

 

 ついに就労不可になるまで心身が壊れました。

 

 いくら頑張っても結局仕事面や健康面では何も報われなかった、哀れなものです。

 

 それから、一応期間満了扱いで辞めさせてもらったため、すぐに失業保険が下りて、しばらく療養生活に入ったのですが

 

 その時の工場で働いていた期間の疲労は、兄に虐待されていた時とは別の形で、今でもフラッシュバックやトラウマの基となってしまったのでした。。。

 

 ......

 

 それでも人生諦めずに、何度も立ち上がっては転ばされてきたのですが

 

 今こうしてようやく、ITエンジニアとして何とかまた再出発できたのも

 

 この時のパワハラ・暴力という社会経験があったからだと思います。

 

 以上です。

 

 いつもより暗い記事を二連発してしまったにもかかわらず

 

 ここまで読んでくださった方に、厚くお礼申し上げます。

 

 おしまい。