かつて派遣切りにあった男の話

            <p>「あんまり良い話じゃないんだけど、あとで事務所に寄ってくれる?」</p>

 派遣の担当営業はそう言って、自動車製造工場でNC旋盤のセッティングをしている私を尻目に去りました。

 当時の昨今の状況を鑑みればわかるというものです。
 “あんまり良い話じゃない”どころか、もはや死の宣告と等しいほどに凶悪な内容だということは。

 休憩時間の合間に、私は事務所に行きました。
 そして予想通りの言葉を聞くことに。
「大変申し訳ないが、来月の契約はもう更新できなくなったんだ」
 派遣の担当者は、全く申し訳なさそうなヘラヘラ顔で告げます。
 しかしそれも致し方ない。
 私のような、生まれつき精神に障害をもち、更に知能も低く想像力もない底辺労働者が、働きながら10万円台の給料をもらえただけでも恵まれた話なのですから。
 世界中の景気が悪くなったら、真っ先に切られるのは私のような無能な人間。
 人間社会というものはそういうふうにできているのでしょう。

 1ヶ月後。

 派遣切りにあった私は、不思議とそこまで悲壮感に満ちた感情には陥りませんでした。
このような善悪以前の強弱による支配というものは、10代の頃から、「家族からの虐待」という形で散々味わってきたし、何より働き口がなくなったからと言ってすぐに飢え死にするわけでもなかったのです。
 しかしずっとこのままだと困ります。貯金もそれほど多くない上、ただでさえ不安定な精神が余計に壊れやすくなるのですから。
 私は警備員や介護、清掃など、片っ端から求人を当たってみたが、どこも一時は受け入れてくれるものの、すぐに戦力外通告を言い渡す、その繰り返しです。
 買い手市場で企業側が横柄に出ていたため、というのもありますが、私自身がもともと無能で不器用な人間だから致し方ないのでしょう。
 何回も仕事をクビになり、貯金も尽きかけた頃、自動車業界で「エコカー減税補助金」制度なるものが出てきて、一時的に求人の間口が広がった時期がありました。
 奇跡的に私は神奈川の某市の工場に期間従業員として潜り込むことに成功し、無職から脱することができました。
 しかし、そこで待っていたものは、度重なるパワハラと暴力と、自身の身に降りかかるメンタル疾患でした……

 

続きます