<p>本書に書かれてある通り、鈴木拓氏がクズかどうかは置いておくとして</p>
世の中に自分を客観的にみられる人がどれくらいいるだろうか。
正直恐ろしい。何故この本は読む人をここまでハッとさせるのか。一つ一つ解析していこう。
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コンセプトとしては、為末大氏のこちらの書籍に近いものがあるが↓
まあ、テレビに出演しているドランクドラゴンの鈴木氏を見ればわかる通り、少なくとも為末氏のイメージや哲学的な視点に関してはまるで趣が異なっている。
・才能がないものは努力をするな
・夢にしがみつくのは「ただの屍」
・言ってはいけない「今が一番幸せ」
特に私の心情に一番グサッときたのは、「今が一番幸せ」という嘘くささについて、だ。
例えば
「人生で、今という時が一番若い」
「今を生きろ」
人はよくこのようなことを宣う。
しかし同様に、今が一番歳を取っていることに誰も言及したりはしない。
その今現在、うだつが上がらない状態であるにも関わらず「今を生きろ」という言葉の意味のなさ。
決してアンニュイな意味ではなく、本当にこれらの言葉には意味がない。
そう、嘘でも傲慢でもなく「意味がない」のである。
そして、人なんて99パーセントは才能なんてないと言い切る鈴木拓。
少なくともその言葉に、私は嘘偽りなどこれっぽっちもないと言い切れる。
世の中、新たな職業がどんどん生まれていくが、その中で良い思いを出来るのはいつの時代もほんのごく一握りだ。
プロブロガー、Youtuber、投資家、フリーランサー、ティックトッカー、etc...
しかも、最近はネットの流行で、一部の成功者が、才能がなく埋もれていった人に対して煽ったり、一流を目指すように指南してくるという始末。
まあ、誰がとは言わないですけれど(笑)
❝努力❞
これほど人を勘違いさせ、裏切るものはない。
そして自分に酔いしれる材料として、これほどわかりやすいものもない。
しかし、人は努力をする。何のために?
たいていの場合、自己満足のためだ。
家族を養ったり、誰かを救ったり、そんなつもりでやるわけじゃない。
そのような大事なことを、努力して達成しなければやらない状況に自分を追い込んでいる時点で、その人は99パーセント終わっているし、自分だけでなく身近の人間や多くの人に迷惑をかけている。
90年代に連載されていた、すごいよマサルさんというジャンプのギャグ漫画にも書かれてあった。
「無駄な努力ほど無駄なものはない」
私は、(個人的に鈴木氏がクズとは思わないのだが)努力という言葉が大嫌いだ。
何故なら他人だけでなく、他でもない自分自身のこともさんざん裏切ってきたから。
本書にも書かれてある通り、成功してきた人や境遇なんて、本当に“たまたま”。
たまたま成功できるチャンスや運があり、たまたま時代が合っていたから。
すると、一部の識者ぶった人間はこう言う。
「普段から努力を積み重ねてきてその下地があったからこそチャンスをつかんだものも大勢いる」
それはそうかもしれない。
でも、それでも屍となって花を咲かすどころか土の中から芽を出すことすら叶わぬ人間がどれほどいるか、そう言う人はまるでわかっていない。
そして、くどいようだが、鈴木氏をクズと思わない私だが
同様に、一芸に秀でいることも出来ず芽も出せないその他大勢の人間のことも、当然クズだなどと思わない。
早い話、巷でよく聞く
「自分が成功できたからアナタにもできる」
という甘言は、とても傲慢である以上に大きな間違いでもあるということである。
【期待は感情の借金】とは、「夢をかなえるゾウ」のガネーシャもまた言っていたが
現ナマの借金をひどく嫌う人間も、自分自身に対する期待は大きく弾ませる。
私にはその神経がわからない。
鈴木拓氏はサッカーを誰よりも練習していたのに、監督の肩を揉む形でその道を閉ざした。
26歳の頃からレギュラー番組をもっていたのに収録に呼ばれるのは3カ月に1回。
それでも、鈴木氏が誰よりも真剣にやってきたことと言えば、
「自分を知り、受け入れること」
ではなかろうか。
何故、人は他人になりたいと思うのだろう。
成功してきた人間はただ単に「その人」なだけであって、「自分」ではないのに。
この国の横並び教育や同調圧力が災いして、今のネットのトレンドは専ら
「自分にしかできないことをやれ」
「好きなことだけやって生きていこう」
「ブランド人になれ」
「行動する前に考えたら負け」
と言って発破をかけることだ。
もういい加減気付くべきだろう。
そんな言葉にときめく時点で、自分は何物でもないということを。
それを自覚したり、ありのままを受け入れることが出来なければ、成功者やクズとか云々以前に、その人がその人である意味を失う。
当たり前のことや常識は疑うべきことも多いが、まず気付かなければならないのは、既成概念や努力していることに酔いしれている自分がそこにいるという事実だ。
そんなことを、この「クズころがし」という本で、私自身も教えてもらったのであった。