伊坂幸太郎氏の小説が嫌いです

            <p> 初めに断っておくが、これは炎上目的でも、「<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B0%CB%BA%E4%B9%AC%C2%C0%CF%BA">伊坂幸太郎</a>の本なんか好きな人は○○だ」とも言いたいのではない。また、人気があることや売れていること自体も関係ない。</p>

 しかし、私は伊坂幸太郎氏の文章を読むと、恐ろしいほどゾワゾワする。負の感情にとらわれ、途中で読むのをやめるほどだ。

 だが、ここまで(私のようなごく一部の人間を)架空の物語というフォーマットにおいて不快にさせる技術を有するのはまさしく才能だろう。そういう意味では伊坂氏を買っている。皮肉ではなく、本気でそう思う。

 ただ私は、読んだときに抱いてしまったイライラを少しでも取り除きたい。その目的で今回は書いている。

 

  • 処女作

 伊坂氏の文章を読んだとき、負の感情にとらわれると書いたが、その「負」とは他でもない「怒り」だ。

 私は氏の著作【オーデュボンの祈り】の他に【重力ピエロ】を読了し、また【アヒルと鴨のコインロッカー】及び【陽気なギャングが地球を回す】を、どちらも5分の1ほど読んで切った。

 最初に処女作【オーデュボンの祈り】。これは普通に面白いと感じた。

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

 
 

 箱庭におけるフィクション性と人間の恐怖、最後のすっきりとした気分は、他の現代小説ではなかなか味わえない。マジックリアリズムの雰囲気もよく醸し出されていて、純粋に楽しめる力作だ。

 

  • 怒り

 しかし、なまじ処女作が面白かったばかりに、他の作品にも手を付けようとしたのが運の尽きだった。

 その後に読んだのは【重力ピエロ】【アヒルと鴨~】【陽気なギャング~】。これらは、購読した後激しく後悔した作品だ。

 まず言えるのが、それらの本は駄作ではない。面白い部分は見受けられるし、ファンにとっては「そこがイイんだな」と感じる要素はある。だから、一々この作者のどこがダメで嫌いなのかを挙げていっても仕方ない。欠点のない文章など、この世に存在しないし、面白いかつまらないか、という意見はいくら論理的に述べようとしても単なる主観の域を出ないからだ。

 だからこれから私が書くのは、純粋な感想であり、それも一言に集約できる。

 それが怒りだ。

 私が読んだ【オーデュポン】以外の上記3作品すべてに、私は怒りを感じた。いったいどういうことなのか、自分でもさっぱりわからない。

 深そうで浅く陳腐な内容、気取った文体、肌に合わない展開や発想、その他。批判できそうな所を無理やりあげようとしても、伊坂氏の文章より欠点の多い文を書く作家などいくらでもいる。実例を挙げるわけにはいかないが、素人以下のクオリティのライトノベルや通俗小説などが、それに該当する。しかし、そのような小説に出くわしたとしても「自分には合わないな」と感じるのが関の山であるし、つまらないという理由ですぐに忘れることができる。

 しかし、伊坂氏の文のように、読んでいて「怒り」を感じる、という小説は、他ではめったに見受けられない。というか小説を読んでいて意味不明な「怒り」という感情を覚える、というケース自体、(少なくとも自分にとっては)レアだ。

 繰り返すが、自分でもなぜ怒りを感じるのか全くわからないのだ。それでも改めて自分なりに理由を考えてみた。文体が稚拙? 発想がお粗末? それとも氏への嫉妬? まったくもって違う。それらに当てはまる作家や作品も、やはり他にいくらでもいる。そしてそういった愚作を乱発したり、逆に嫉妬するような他の作家(作品)に対しても、ここまで強い負の感情を抱いたりはしない。では、氏の文を読んだときに感じるこの怒りは何だ? 何の怒りだ?

 

  • 結局原因不明

 私が伊坂氏の文を読んで怒りを感じる理由は、何度考えてもいまだにわからない。多くの方の意見を集めたいくらいである。デビュー作だけが楽しめた理由も、同様にして不明だ。

 もしかしたら「文やストーリーが○○だから嫌い」という単純なものではないのかもしれない。本当に、数々の小さな要素が集まって、偶然私にとって負の感情を抱くような文で構成されているというだけのことだろう。

 しかしくどいようだが、今まで数多くの本を読んできて、伊坂氏の小説のように読んでいくうちにイライラする作品は他に例を見ない。そこまで思わせるのは、やっぱり氏の才能だと思う。