奥田英朗の青春小説【東京物語】

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東京物語

東京物語

 

 奥田英朗氏というと、【最悪】【邪魔】【無理】といったクライムノベルや【伊良部シリーズ】【サウスバウンド】【ララピポ】といったバラエティに富んでいるものもあり、大きく見ると社会派小説をよく書くというイメージがある。

 しかしこの小説はちょっと違う意味で社会派だ。
 
 舞台は主に昭和中期から後期。主人公「久雄」の甘酸っぱい青春や夢の跡が書かれている。中部地方出身で、上京してからコピーライターに、という経緯からみると、作者の自伝的要素も含まれていると考えられる。
 何故だか昭和時代にそれほどゆかりのない人々にも心に響くものがある。それは「ジョンレノン」や「キャンディーズ」といった、平成生まれの人でも知っているキーワードがあるから、ではなく、東京という町で世の中を闊歩する、という、ある種の理想像を汗臭く書いているからだと思う。
 若い内に大都会に来たともなると、なんかこれからすごいことが待っているんじゃないかという気がして、自分に何でも出来てしまうような気になるのは、自分もよくわかる。そして若さという武器でもって、何でもひたすら頑張る。ちょっと失敗することもあるし、必ずしも良い結果にならないことももちろんある。しかし、そのような希望と全力の先には、絶望は決して待ち構えてはいないということを教えてくれる。
 恋愛に関してもリアルに書かれている。ちょっとした女心もわからないまま、冗談を言い合っていただけなのに……もともと主人公と相手の女の子、グサグサ言い合うのはお互い様。でも実は自分の方が深く相手を傷つけてしまっていた。けれどその先には、少し甘い出来事があったりなんかもする。率直な感想として、「ああ、こういうのが青春だよなぁ」って思ってしまう^^;  
 世の中の動き、仕事、夢、まるでちょっと時系列がバラバラな人生ゲームのように話は進んでいく。
 ところどころ表現される、主人公に関わってくる昭和を生きた大人たちの台詞も味わい深い。昔は本当に何かを目指せばそれが手に届きやすい時代だったのだと、彼らは語る。しかし、昭和のヒーローのような人々の陰で、彼らのように細々と生きる事は決してかっこ悪いことなんかじゃない。とは言え氏の作品らしく、相手を厳しく批判したり、辛辣な描写もあるのだが、章の終わり毎にも、本書を全て読み終った後も、主人公及び読者に確かな希望を齎してくれる。そのさりげない優しさのような演出が、ニクい。
 
 希望にあふれていた時代だったのは、何も高度経済成長時代だったから、ということではないのかもしれない。ただ今の時代はちょっといろんなことが複雑になって、幸せが見つけにくくなっているだけなのかもしれない。それに、ただ希望を追い求めながら生きていくという感性はとっくに過去の遺物になってしまっただろうか。いや、そんなことはない。
 過去と同じ価値観で生き、幸せな一生を構築するのは、この平成の世の中では難しいかも知れないが、だからこそ新しい自分だけの人生を作ることの出来る世の中に、今はようやくなれたと、僕は思っている。本書は、そんなノスタルジックな読後感だけでなく、まるで昭和をリアルで生きてきた人の語りをしんみり聞くような、不思議な感覚に見舞われる。
 それにしてもこの作者、スピード感あふれる小説であっても風呂敷たたむのが上手い。特に本書は、まるで人生が一刻も休まることのない物語のように進んでいくことを、教えてくれるようだ。