世の中に適応できないからといって【自殺されちゃった僕】

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自殺されちゃった僕 (幻冬舎アウトロー文庫)

自殺されちゃった僕 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 何というか、報われないなぁ。

 でも僕は、自殺者を死体蹴りするような真似はしたくない。世の中には本当に「自殺した方が良い状況」や「死ねただけマシ」という事実がいくつも存在するからだ。「自殺が一番の悪」とかヌかす奴に限って、大した苦労を味わっていなかったり、無神経かつ傲慢な性格であることも半ばお約束。

 だから、僕個人としては、この作者やねこぢるの元旦那の山野一氏に対して、激しい同情の念が沸き起こった。

 でも近親者に自殺された人がいても、周りの人間や傍観者は、生き残った人に対して何とかしてあげたいと思ったところで、せいぜい同情することしか出来ないのもまた事実だろう。

 

 とは言え、この本の自殺者達に限った話ではないが、他人をさんざん傷つけておいて、プライドの高さや自責の念に耐えられなくなったのは、完全な自業自得だ。この本の死んだ3人は、どこかで好き勝手やってきたという自覚はあったのだと思う。そこで、過去の自分の過ちを清算することも反省することもなく、勝手に死を選ぶのだから、一部または多数の人に非難される。自殺というものを悲劇ととらえず一つの事象としてただ無責任に一般論を押し付ける人間は論外だが、そうではなく傷つきながらも石にかじりついて生きている人にしてみれば「こういった自殺者は何と不愉快な人間であろうか」と。単純にそういうふうに思う人の気持ちももちろんわかる。

 僕もまた、生まれ持ったハンディキャップなどが原因で何度も自殺を考えた事のある身だが、どこかしら生きなければならない理由があって今もこうして生きている。なのでむしろ、気持ちを重んじなければならないのは生者の方だ。この世に生きている人達は、皆生きていかなければならない。

 だが、この本に出てくる女性編集者や解説者のように、人生を勝手にリタイアするからと言って、自殺者を非難することそれ自体は、心中は察するものの決して良い言動とは言えないだろう。そういう人もまた、生きていく上でちょっと大きな問題を抱えているのではないか、などと性格の悪い僕は勘繰ってしまう。

 

 この本の内容は、解説にも書かれてある通り、商業用としては拙い。筆者が、妻に自殺された悲しみの直後に書いたというのも、意図したものだと言うが、それを差し引いて考えても、良く出来た本とは言えない。しかし、考えさせられる本であることは間違いない。

 

 自殺がいけないこと? それは何故? 何か大きな力によって禁止されてるから? 周りの人が悲しむから?

 

 だったら何故神は、人間が自殺という方法で命を失うことの出来るように創った? 自殺を認めるわけじゃないが、同時に絶対に認めないというのも、やはり同じくらい傲慢だ。

 既に、親しい人や家族を、自殺で失った人がそれを吐いたとしても、やはり気持ちはわかるし同情はするが、反論も出来る。そういう人こそ実は「生きている事を当たり前」だと思ってはいないか? 

 世の中の人々はどうあがいたって、死から逃げられないのだ。それは哲学的な意味じゃなくて、もっと現実的な意味。例えば天地災害に見舞われたり、通り魔や爆弾魔やテロに殺されたり、とか。

 僕は、日本が自殺者が多い理由は、特定の宗教を信仰していないからとか、バブルが弾けて以来不景気だからとか、というのが根本的な理由ではないと思っている。“生きるということを当たり前に捉えすぎている”人間が、この国には多すぎるからだろう。自殺を考えている人間もそうでない人間も、「生きられて有り難い」ではなく「生きられる事が当たり前」と考えている者が非常に目立つ。そういう風に言うと、日本の治安の良さや先進国故の恵まれた経済情勢を取り上げて、「生きるのが当たり前と思う国民が多いことは逆に良いこと」などと宣う輩もいるかも知れない。だったら、そこから一歩踏み込んで「今、何故隣の家が爆撃されたりしてないの?」とか「いきなり過激派組織が家にやってきて財産を取られたりしていないのは何故?」ということを考えてみよう。日本が、女性だからという理由で自殺を強要されたり拷問を受けたり、事故や病気で障害をもった時点で直ちに殺処分されたりしない国なのは何故かに気付く必要がある。我が国が平和な理由とかは正直どうでもよくて、その人なりの今生きている理由や答えが見つかるはずだ。

 自殺は良くないことだと思う。だが自ら死ぬことを完全否定する人間もまた想像力に欠けている。更に、どんな境遇に置かれている人も、死ぬ理由でなく、何故今自分が生きているのか、を考えることを怠っている人が日本にはちょっと多すぎるのではなかろうか。世の中に適応できないからといって、死ぬのも駄目だし、今自分が生きている有難さというものを考えないのも駄目だ。それをしない人間に自殺した人を非難する資格はない。