若さは何物にも勝る最大の武器、ではない?【神様からひと言】

            <p><a class="keyword" href="http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/odai">今週のお題</a>「20歳」</p>

 

神様からひと言 (光文社文庫)

神様からひと言 (光文社文庫)

 

  まず僕は、この作品の主人公に謝らなければならない。

 まだ僕がこの彼の年齢である27歳以前の頃「絶対こんな職場には就きたくない」なんて考えていた。しかし30になった今思い返してみると、彼は同じ27歳の頃の僕に比べてまだ信念をもって仕事をしているし、僕より行動力も高い。実際の身の回りの現実はもっとドラマ性もなく地味なくせに残酷だった。僕は、若い頃にこの作品の主人公を馬鹿にしたことを深く詫びる。

 ついでに、この主人公の言ったように、いざとなれば新宿中央公園に行けば生きていけるなどとも考えていた。もちろんそれは口で言うほど甘いことではないし、実際にそんなことをしたこともない。する勇気もない。今の実態は、妻と二人で、細々と暮らすだけの生活に甘んじている。本書に登場するラーメン屋の主人のように、ホームレスから有名ラーメン屋へ転職するというストーリーも、今のところ描けていない。だから謝罪だけでなく同時に恥じる気持ちでいっぱいだ。

 

 【神様からひと言】(文庫版2005年発売) 

 成人を迎えたばかりの当時の僕は、社会人でありながら受験生でもあり、同時に趣味も今と同じ読書を、と大忙しだった。

 その中で見つけた、僕が20歳の頃に発売されたこの本。クレーム処理の仕事に異動させられ、お客様の家へ、競艇場へ、ラーメン屋へ奔走し、働く27歳の主人公。

 当時はブラック企業なんて言葉はほとんど知られていなくて、意味や定義も今とは違っていたようだ。実際にあったかどうかは別にして、昔は今ほど「日本の企業や職場に余裕がない」という概念自体が希薄だったのではないか。不況や自殺率などが目に見えてわかるようになり、インターネットの普及も相俟って、ようやくそのような会社がこの国にはたくさんある、という認識が社会全体に広まってきたように思われる。

 お客様の理不尽さは、今の時代も尽きることがない。

 それは、モンペやこの本に出てくるクレーマーのような明らかにおかしい部類のものではなく、サービスを受けて当たり前という共通認識から派生するものなので、ただ客としてのマナーがなっていないからと言ってクレーマーでないとは限らない。そしてその共通認識を改めない限り、今後も不況や高齢化が進んでいくにつれて、増加していくであろうという事が予測される。由々しき事態である。

 例えば、アプリをダウンロードしたり、メディアの更新が行われるたびに発生する、あの長い長い同意書。あれだって元を正せばお客様のクレームが激しいがために出来たものではないのか。ただ「同意する」にクリックするだけで無視する人も多いだろうが、それによって何らかの不都合が自分に生じても泣き寝入りしなければならなくなるかもしれない(そういえばサウスパークでそういうネタがあったな)。

 日本のサービスは質がいいだけでなく、多国と比較してももともとの値段も高くないと思っている。この国以外で同じものを求めるのであれば、法外な値段を請求されるだろうし、この国以上に安価を求めるなら、もはやケチをつけることすら許されない程低質な供給を受ける。コストパフォーマンスという面でみても、日本は世界最高の部類ではなかろうか。

 そもそも、こうしてただクレームを入れることの出来る社会に住めるだけでも恵まれている、と考えるべきだ。

 そして、それを実現しているのは、他ならぬ今の現役世代だ。幅広く、お客様だけでなく企業のわがままに答えてくれている、数々の職業や働く人たちによって。しかしその代償も大きい。年金世代の爆増とその逃げ切り政策により、この国は静かに破滅へ導かれてようとしているし、既に手に余るほど働く人々に余裕がない。

 20代を中心とした若い人に対する扱いだって酷い。いまだに日本は新卒至上主義から抜け出せないでいるし、使えない人間は若くてもその芽を摘もうとする。まさにこの主人公の置かれている状況は、小説の世界だけの話ではないのだ。だいたい大企業は、不況を言い訳にして希望退職などを募ったりしているが、そんなことをしてもどこでもやっていけるような有能な人が、自分の手から抜けていくことを自覚していないようにしか見えない。結局は墓穴を掘っているのである。

 甘い汁を啜ったままニヤニヤ笑いながら死んでいく老人たちのいいように扱われないように、自分の人生のために生きていこう、と、僕自身心掛けているし、若い人たちにそう発起させることの出来る人間になれたら、と思っている。政治に関心を持ち、選挙に行き(白票でもOK)、そして自己研鑽を“無理のない範囲で”行っていく。これだけでも十分違ってくるだろう。自分の未来の前に今の自分と戦えるだけの力を身につけること。それだけ。

 今の時代、若さは武器にはなりにくいが、希望を自分で作り上げることが出来る、という特権がまだ残っている。少なくともそれは、今も昔も変わらない。この作品の主人公のように、馬鹿と言われても元恋人から愛想を尽かされても、いろんな所に行って視野を広げるのは、生きていく上で無駄な行為にはならないのだろう。