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アウシュウィッツ「ガス室」の真実―本当の悲劇は何だったのか?
- 作者: 西岡昌紀
- 出版社/メーカー: 日新報道
- 発売日: 1997/06
- メディア: 単行本
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このような本を紹介するからには前書きしておかなければならないことが3点ばかりある。
・私はホロコースト否認論者ではない。
・だからと言って私はネオナチでもない。
・私は一つでも多くの歴史を知りたいだけ。
・そして何より、ホロコーストにおいてガス室で何百万人も殺されていた、という話を100パーセント信じていた(何という蒙昧ぶり)
何か言い訳がましい前置きになってしまったが、日本でも最近卍のマークにケチがついたりするというニュースがあったりしたため、他人事ではない。ましてや今のドイツにとっては、(一応表面的には)ナチスは憎むべき存在で負の歴史であり、非常にデリケートな問題でもある。
この作者のカタをもつわけじゃないが、少なくとも本書では、それなりにガス室にまつわる一般的認識に一石を投じている。その多くが共通認識の反論と挑戦的な文であり、強引な理論やアジテーションを感じる部分もないではないが、客観的な判断という立場をそれほど逸脱していない。繰り返すが、“本書の中では”。実際の作者本人がどのような思想を持ち、何を信じているかは、今は触れないことにしておく。
なので、ここで取り上げるのは、人間の騙されやすさや信じやすさ、といった内容になる。
ピラニアがアマゾンの凶暴な肉食魚、という認識が人々の前から薄れつつあるのは、割と最近のことだろう。それまでは、ピラニアの群れが泳ぐ水中に人が入ろうものなら骨だけしか残らない、と、多くの人が思っていた。
情報だけでない。教育だって某国のように今日日反日の洗脳教育が行われているところだってある。日本だけが特別なのではない。むしろ日本を出ればそれほど息を吐くように事実でないことを事実と言い張り、受け入れる人間が沢山いるのだ。
情報操作、というと聞こえは悪いかもしれないが、そのような洗脳はいつの時代でもどこの国でも行われていた。ネットで多くの知識を得ることが出来る今になっても、時の権力はそんな世の中を逆手に取り、別の形でメディアを使ったり宗教を武器にしたりして一般市民を騙す。事実は国会かスタジオで作れてしまうのであろう。
もう一度言うが、僕はこの本を読む前は、ナチスのホロコーストにおけるガス室のことなど完全に信じ切っていた。
しかし、本書を読んで、考えを改めたわけではない。
ただ自分の無知さより、無関心さを恥じた。
言論の自由が訪れないのは、それがその人にとって本当はどうでもよかったりするから、というのが理由の一つにあるだろう。理想論ではあるが全ての人が正しい知識を持とうとすれば、自ずと世界的な通念は正しい方向に導かれる。
しかし、現実は絶対そうはならない。嘘でも捏造でも建前でも押し通されてしまうことがある。
この本だって、「ガス室の真実」と銘打っているが、本当に真実なのやら眉に唾を付けたくなる人も少なくないと思う。作者個人の主張や持論のたいていはブーメランとも取れるし、何より、僕みたいに騙されてばかりいる人間が、この本を読んで疑いの眼差しを前提に読んでいるということを、本当の本当に理解しているのだろうか。そしてそういう読者を説得できる力が自分にはあるという自信を、この作者はもっているのだろうか。まあもっているからこのようなことを理念高らかに発信するのだろうけれど。
創作物が面白いのは、それを見ている者だけがその創作物の世界の真実の全てを知れるから。質の良いミステリー作品が世界中の人を惹きつけるのは、その謎に満ちた世界の全てを、鑑賞するだけで感じることが出来るから。
しかし現実は嘘ばかり溢れている。コナン君の「真実はいつも一つ」という台詞も、創作物の中でしか生きない。誰にとっても隠しておきたい、嘘でもそういう事にしておきたい事実の一つや二つもっているからである。
結局この手の本は、我々のようナチスの直接的被害にあわなかった人間にとっては、単なる知識欲を充たすものでしかないのであろうか。
それでもそこで大事なのは、少しでも関心を向ける事であろう。
それが多くの人を助けるきっかけになるかも知れないから。人間は歴史から学べる、ということを証明できるようになるかも知れないから。
今は簡単に知識や知恵を身につける事が出来る世の中になっている。我々はその岐路に立たされているのかも知れない。
正しい知識や真実よりも大切なことがある、ということに気付いた時にその人の人生はより良くなるのではないか。