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どうしようもなく苦しい時、狂ってしまえばどんなに楽か、と思う事がある。
統合失調症である著者は、それを平気で行動に移し、やってのけた。僕も精神的に病んでいるけれど、どうしても破滅の道へ進むことなど出来ない。周りに自分一人しかいなかったら、戸惑いなくやっていたろうに。
著者は無償の愛を受けても救われなかった。
「生きてるだけで最高だ」なんてのは嘘だ。
この場合、死んでもおかしくない状況から、それでも周りの人々によって支えられて、再生することが出来て初めて愉悦を味わえた、と言うだけの話だ。
死ぬべきでない理由があるはずなのに死を選んでしまう事は、もしかして最も“贅”な行為なのかもしれない。
何といっても、自分はもう責任を背負う必要がない、勝手に破滅を選んでおいて、後の事は全て生き残った人に任せることが出来るのだから。
そしてそういう人間が実際に死を選ぶ、もしくは破滅への道を選んでしまうケースが全国津々浦々後を絶たない。
別にこの場を借りて自殺行為について論じようっていうのでもない。
僕だってなんで今まで生きて来られたのかわからないような、そんなしなくてもいい無駄な苦しみや痛みを伴う経験をいろいろしてきた
当然この世は生者で成り立っている。だから自滅する人間の動機が様々なのであれば、生きる意味や生きがいなんてものはもっともっと多種多様だ。
その中で自分と似たような生き方をしている人がいれば、それが自分の生き方のヒントになる。答えは自分で見つけなければ意味がない。
そんなの仮免中どころか、学科教習の時点で身に付けなければならない事だ。
自分から死んだら、業務上過失致死以上の罪が課される、なんてことは。
統合失調症は苦しい。それは僕もわかる。
精神薬や睡眠薬は値段も高いし飲んだら気持ち悪くなるし不味いし普通の生活がしにくくなるし車の運転すら止められるし最悪この本の著者みたいに自殺念慮すら湧き上がるし本当にいいことがない。
でも、だからこそ、そういう薬を飲んでいる、ということは、少なくとも自分がその時点で生きようとしていた、ということに気付かなくては。
それが出来れば、もしかしたら少しでも苦しさから逃れられるかもしれない。
もう、周りの人のことを考えよう、とか、僕はそんなこと言えたギリじゃございません。
でも将来、死んだ人をよみがえらせることの出来る呪文(!?)のようなものが開発されたら、きっと自殺を選んだ人は誰かに無理矢理生き返られさせて、未来永劫生と死を行き来するはめになるでしょう。
そしてもし僕がその呪文を唱えることが出来たとして、尚且つ大切な人が自殺を選んだら、その人が死ぬ度に生き返らせる。そんなの当たり前の事だ。
死ぬたびに耐えがたい苦しみを味わう?ずっとそれを味わわせることになる?
知らんよ、じゃあ自分から死ななければいい。