【下町ロケット2 ガウディ計画】小説に訪れる現実性 現実に訪れる非現実性

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下町ロケット2 ガウディ計画

下町ロケット2 ガウディ計画

 

 

 本当は、一円の金儲けにもならない癖に流行にギリギリ乗り遅れたような記事を書くのは、自分の文章能力とタイミングの悪さを認めているみたいであまり好きではないのだが、製造技術職の一作業員として、話題に事欠かない流行作家のベストセラー本の続編であるこの本を紹介しないままでいるのは、なんだか自分の中でもやもやする。

 というわけで、始めたいと思います。

下町ロケット2 ガウディ計画】

 ちょっと早めの冬休みの読書感想文です。

 

 まず前作の感想や読んだ経緯から。

 10年以上鉄を触っている手と同じ手で箸を持っている僕としては、大手メーカーの横暴ぶり、財閥系大企業の傲岸不遜ぶりなど、自分に直接関わらなくても耳に入ってくる。

 そんな自分が、2年ほど前に初代【下町ロケット】の文庫を本屋で買い求め、自分と同じ中小企業で働く工場における製造職をテーマにしていることもあって、非常に楽しく読め、個人的にその年に読んだ本の中で間違いなくトップの面白さだった。

 が

 意外や意外、「共感」することは全くできなかった。

 

 著者は銀行ミステリと称される作品を数多く手がけ、銀行の内部事情など全く知らない者でもわかりやすく物語が展開されていき、その結果が小説の発行部数とドラマの視聴率などに、こちらもまたわかりやすく表れている。

 そんな池井戸潤氏が書いた製造業を取り扱った物語なら、共感出来ないはずがない、と思ったら、そうではなかった。

 もう一度言うが、小説としては面白い。

 だが、しっくりこない部分もある。

 その理由はわからない。決して僕が「本当はこんなものじゃない」と言いたいのではないし、ましてや氏の作品の粗探しや非現実性を訴えているのでもない。

 そこで考えてみると、心の片隅に釈然としない部分があることの理由に、一つ思い当たる節がある。

「現実の方がつまらなさすぎる。。。」

 

 わかりやすくまとめると、それだけ氏の作品が面白く、つまらない現実から一時避難し創作の世界に没頭できるというエンターテインメント小説としての機能を全うしていることの証左である。

 

 ああ、前置きが長くなってしまった。

 下町ロケット2 ガウディ計画の感想に移ります。

 

 突っ込みどころはあった。しかしそれは最初の内だけで、しかも後から読めばちゃんと納得できる類のものばかり。

 それは

「腰巻に『ロケットから人体へ』って書いてあるのに何で未だに本のタイトルがこれなの」

「え、目次で後半のネタバレですか?」

「冒頭の人物相関図、何か見辛い……」

 しかし、それらは全ていい意味でまやかしだった。

 読んでいけば、それこそシュレッダーをかけるかの如く、もやもやした心が分解され、最後までスカッと読める。氏の小説の面白さはやはり健在だった。また、“登場人物たちが”前作の反省をしっかり生かしている部分も感服させられる。

 無理矢理一つ前作の方が面白かった部分をあげるとすれば、ナカシマ工業や銀行員程読んでてムカついた敵が出てこなかった事くらいかな……しかしそれも、外部の者、それも門外漢の人間達とも信頼を結ぶと言った描写などがしっかりブラッシュアップされていて気持ちよく読めたため、さほど気にならない。

 

 そして、やはり最後に残った余韻。

「ああ、やっぱり共感することは無理だったか……」

 

 多くの方々がとっくに気づいておられるかと思われるが、水戸黄門やヒーロー物など勧善懲悪ストーリーは、わが国では王道とされていて、それだからこそ非現実的とも取れる。

 そのために、皮肉なことに氏の小説は面白ければ面白いものであるからこそ、現実との乖離が生まれてしまっているというジレンマが訪れているような気がしてならない。

 某掲示板やレビューサイトなどで、時折だがみられる、氏の作品を読んでも面白くないと思われる方々の指摘の内、「ご都合主義」「現実性に欠ける」といったファクターが多数を占めている。

 僕個人としては氏の小説のファンなので、そのような意見自体は指示したくないが、その一方で反対も出来ない。

 

「事実は小説より奇なり」というが、おそらく今のこの時代では「現実が創作より不思議」という意味ではとらえづらい面もある。噛み砕いて言うなら「(今の)現実の方が無茶苦茶で突拍子もないことが多すぎて逆につまらない」という解釈もできる。

 そのような創作におけるリアリティをどこまで突き詰められているか、価値観は人それぞれなので、当然の話だが誰の意見が正しい、という物ではない。

 ただ、僕は人間の創作の力は無限大だと思っている。一部で流布している、創作を行う側が実際の経験を行わなければ、説得力のある出来にはならない、という考えは誤りだと思っている。

 もちろん完全オリジナルの物などこの世に存在しないし、何事も現実の出来事がモチーフになっているだろうが、それでもそこから新たな創造や可能性を人間はどこまでも秘めている。0から1を作ることは難しいが、1から10を作ることは出来るのだ。

 

 工場の製造現場の人間として、今回はちょっと駆け足(にしては話題に取り上げるのが遅い……)で紹介させてもらった。

 

 

 最後にもう少しだけ。

 僕は日曜の夜にドラマを見るのが好きではない。(最後に日曜夜のドラマを見たのは確か仁だったかな)

 というか、テレビ自体を見るのがあまり……

 理由は、お察しの通り、サザエさん症候群……

 

 あ~今日も工場行きたくない……この作品の登場人物のようにあんなはつらつと働けるのなら働いてみたいものである。

 そういった意味でも自分には少し遠く感じた要素を感じるものもある……なんかちょっと悔しい。