第三者に出来る事。それは発達障害を取り巻く環境を考え直すというもの【母親やめてもいいですか】

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母親やめてもいいですか

母親やめてもいいですか

 

 

 僕は既婚者でありながら子供を産んでいないし、これから産む気もない。いくら日本の少子化対策に貢献していないと罵られようと、僕(と妻)は一生子供を産む気はない。ひとえに僕と妻のわがままを守り通すため、そして不幸の連鎖を断ち切るため。

 だから僕は、この作者のことを責める資格はないし、その気も全くない。

 

 本書について。

 娘が発達障害者と診断されて、あらゆる面で挫折し、堕ち、離婚し、娘とも別れる。最後にはその娘とたびたび会う、というような関係のまま終わる。

 漫画なりに、出会いや別れ、モノローグのシーンなどはかなりの演出が施されているが、やはりというか何というか、実態は生々しく、障害者の子をもつ母親の苦労が描かれている。しかも最悪とまでは言わないが、かなり悪い結末というおまけ付きで。

 

 「我が子は無条件で可愛い」「子は鎹」「平凡な家庭」。そのような普遍的な観念に、一体どれほどの親子が苦しめられてきたのか。逆説的にこのような一般常識が、あらゆる家庭を崩してきた。その事実を一体周りの人間はどのように受け止めるつもりなのだろうか。世間では、子供に何かあったらすぐに親のせいだ。その責任の追及先は間違っていないとしても、事件が起きると見知らぬ誰かがすぐにしゃしゃり出て一方的に自分の正義を直接的に近い形でがなり立てて去っていく世の中。障害児を間接的に殺しているのは、世間一般の観念という目に見えない魔物だ。

 この作者=主人公も、幼い時から父親がおらず、母親も少々変わり者という境遇で育ってきて、ずっと普通の家庭を築くことを夢見てきた。だが残酷なことに、この時点で作者の運命は決まっていたも同然だった。普通の人生? それは個人が考える普通であって、本当の意味での普通なんてありえない、という大事なところに、作者は取り返しのつかなくなるところまでいっても気づかなかった。全ては、繰り返された目に見えない負の歴史の産物によるもので、作者はその連鎖を断ち切るどころか、自分で思い描いた夢にとりつかれ、絶望した後も様々な誘惑や不義に身をゆだねる。

 しかし、ここで作者を責めるということは、少なくとも私には出来ない。それは、この本をぶち破っても見えない、あるメッセージが隠されているからだ。

 

 障害児をもつことをあらゆる意味で軽く考える世の中に対する警鐘

 

 あまり触れたくはないのだが、案の定某サイトでは、作者=主人公の言動、及びこの本を出版したことについての批判であふれている。それは確かに、一つ一つの意見は的を射ているし、客観的に見てこの作者に非があることは明らかすぎる。

 しかし、そこからもう一歩踏み込んで、このようなコミックエッセイが出版されてしまうほどに、障害者を取り巻く社会や福祉の脆弱さ、第三者の冷たさ、という話まで繰り広げてみてはどうか。おそらく9割以上の人はだんまりになり、知らん顔をする。

 障害児が不幸な境遇を迎えてしまう過程を作ったのは、本当に親だけだろうか?

 確かに教育が重要なのは間違いないし、それにはまず第一に親が一番責任をもってとり行わなければならない事項だろう。しかし教育とは何も親だけがするものではない。教師だって、親戚だって、そしてもちろん、全く関係ない大人たちによっても、教育はなされる。

 それは、子供は大人を“見て”育つから。悪い大人が現実にいれば、それだけで真似る可能性があるし、最悪事件や事故につながる可能性すらある。

 道端を歩いているあなたは、信号無視をしたことがないですか?

 電車の中で目の前に妊婦や病人がいても、無視したことはないですか?

 常に教科書通りの規則正しく模範的な生活を送れていますか?

 

 はっきり言って、子供達は見ています。どこにいても、誰であっても。

 

 「この本を、たからちゃん(作者の子供の名)が大きくなった時に読んだ時、辛い思いをする」という意見がある。その意見自体が毒々しい、ということは否定できますか? だってそれじゃ、“第三者までもが”発達障害という物を悲観視し、遠回しに絶望に追いやってるものでしょうに。

 

 広汎性発達障害という診断。その後に立ちはだかる大きな壁。それがその親あるいは子にとってどれほど高く厚いものなのか。本書はそれを等身大でぶつけた漫画である。決して無責任などこぞの誰かのアドバイスや世間一般のクソ常識などに及ばない。この本を読む方は、本当に苦しんだ人にしかわからない、その叫びを、是非とも感じ取ってもらいたい。

 

 ただただ本に書かれてある通り、額面通り受け取る事だけが目的なら、大学入試の現代文の問題でも解いていればよい。小説であれ漫画であれ、ノンフィクションであれ、書籍を読むこととは、自分はどう感じたかをしっかり自覚し、それが本当に自分のためになるかどうかを享受するためにあるものだと思う。本書に関しても、読んだうえでそこを自覚しないと、結果的に世の中のすべての障害児をもち、悩み苦しむ親に明るい未来が訪れるとは思えない。我々が目指しているのは、そんな差別や侮蔑などといった言葉ですら到底表せられないような更に残酷な観念であふれた、クズみたいな社会なのですか?